いやぁ、このブログを始めて、かれこれ3年くらいになるんですかね。
僕がバンドの傍らで文章というフィルターを通じて、
日々に感じている雑多な事象をシンプル且つユーモラスに書き溜めてきました。
いつしか日常における暴力性を吐露する場になっていたかもしれません。
尻を隠そう、股間を隠そう、西松建設からのワイロを隠そう、
本日でHITORIディスカッションを終了させて頂きたいと思います。
まぁ、いくつかの理由があります。
1、ウェブログという一種のメディアを危惧しはじめたこと。
2、ここに綴るべきテーマがもう見当たらない。
3、インターネットと然るべき距離を持ちたい。
4、制限された文章を書くことに対する閉塞感。
などが挙げられます。4が決定的な理由であることには間違いありません。
僕は出来る限り、わかり易い言葉と興味がある事柄と読みやすいビジュアルを意識してきたつもりです。どう考えても勝手気ままなブログではあったと思いますが。
これまで読んで頂いた方々に感謝しています。
僕でも御座なりの隣人愛くらいは持ち合わせていますw
これからは、やらなければならないことを1つずつ処理していこうと考えています。
それは沢山あって、浮浪者の乱杭歯に溜まった食いカスみたいにどよめいています。
最後に。
僕は人間なんてちっぽけで、醜くて、ゴミみたいで、どうしようもなくて、救いようのない、馬鹿らしい存在だと考えています。
ただどうせなら、もうどうせなら有機的なゴミになりたいと願っています。
ヤリたい、やらかしたい。それだけが僕のニトログリセリンとなり、体の奥底を強く刺激し続けてくれます。ほんといつまで経っても、中学生のガキみたいなやつです。
一般論ですが、人生はあまり長くないみたいですね。
だから頑張ります。
何をって?
秘密です。
みんなでお腹いっぱいになりましょう。
約束です。
空腹ほど辛いものはない。
最後に胃の中身を見せ合いましょう。
何が残っているでしょうか。
とにかく空っぽのやつを笑ってやりましょう。
それもまたグーなんだろうけど。
ー宴会と同じように、人生からも飲みすぎもせず
喉が乾きもしないうちに立ち去ることが一番良いー
アリストテレス
ギリシャで家庭教師をしていたおっさんが遺してくれた、あの偉大なるお言葉です。
アレクサンドロス大王も愚痴なんかこぼしたのでしょうか。
どうでもいいねそんなこと。
では、さようなら〜
どうも映画キチガイこと、萬木です。
今日のところは、書くべきテーマが残念ながらありません。
ただこのタイトルが気に入ったから更新しました。
アンナ・カリーナはマジでやべぇ。
以上
音楽とはノイズであり、会話である。
勿論それは相互的性行為でないといけない。
音楽とは女性的でないといけない。
無論それは男性的視点によって成り立つ公式である。
音楽は無条件でないといけない。
音楽は人を選択してはいけないし、あるいは人は全ての音楽を選択できる。
音楽は悲劇であり、おそらく同時に喜劇でもある。
色彩、音色?
貧困、暴力?
政治、搾取?
脅迫、哀願?
生、死?
音楽は全てを含有すべきだし、それは永遠のテーゼである。
すなわち音楽は美しい。
BY Peatland John Oneal
草彅さんやっちゃいましたねぇ。
ある種のエンターテイメントです。
ただあの謝罪会見は見ていて違和感を感じてしまいます。
なぜ事情聴取で発言したと言われるむしゃくしゃしていたという原因について、誰も言及しなかったのか。犯罪者の謝罪会見なんだから、その原因が重要だと思う。
多大な迷惑を被った割には、マスコミは中立的な意見を失っている。
しゅびどぅどうばっば。
お酒と人の堕落を見ていると、太宰の人間失格を思い出さないわけにはいかなくなる。
暴力性と罪の意識は人間を語る上で、どうしても外すことのできないテーマだ。
人間は生物として、存在自体が罪にあたるのだろう。
まぁ、悲劇は喜劇になりうると僕は考えています。
無論太宰は、悲劇を悲劇として人生を終えましたが。
彼がいたから救われた人間はどれほどいるのだろうか。
暴力性を直接的に描いた映画といえば、フィンチャーのファイトクラブが挙げられる。
不眠症患者が多重人格に陥り、一方の人格が暴力を発露していく物語である。
人間は死を感じたとき、初めて生を実感するといったシーンが度々登場する。
おもしろいですよ。ノートンもくたびれた感じで笑えます。
今後はチャップリン、キューブリック、アレン、ゴダールについて取り上げたいと思う。
僕と僕の議論っていうのを、ここ最近はやめてしまったいた。
葛藤という言葉では生温い気もする。
皆さんも“自分対自分”の構図の中生きていることでしょう。
海辺のカフカ的な思考回路です。
しゃらくくらしゃくら。
今僕は幸せすぎて困っています。
何をしていても幸せなんです。
ラッセルの幸福論に入れ知恵でもされたのでしょうか。
そんな順風満帆な中に満たされない密かな感情を僕は発見しました。
その空間に触れると、自分の在り方がとても漠然としたもののように思えてしまいます。
フロイトならその空間を何と名付けるだろう。
チャップリンならどう皮肉を交えて喜劇へと転化させるだろう。
ビリー・ジョエルならこの感情をどんな歌にするだろう。
ヒトラーなら有無を言わずこれを排他するだろうか。
あなたはその扉を開けずに穏便を演じるだろうか。
精神の掃き溜めにするほど、恥じるべき文章もないが、
今の僕からそういった一連の流れを止めることは容易ではない。
やるか死ぬか。
戦うか放棄するかだ。
ここでは真実も信念もさほど重要ではなくなる。